- 23.02.17
少し変わった人たち
『縄文時代』という時代区分は日本独自のもので、世界的にはこの時代は『新石器時代』と呼ばれている、というのは有名なハナシ。
この名前、日本に招かれていた米国の動物学者、エドワード・S・モースさんが注目した土器の縄目模様(縄文=Cord Mark)にちなんでつけられた名称だ。世界的にこの時期は石器から鉄器への転換期で、おもに青銅器が使われていたらしいが、不思議と日本(このころ国の形態はないが便宜的に)では青銅の使用は祭祀用の飾りもしくは弥生時代の剣や槍先、銅鐸といったものに限られ、器として使われたのは土器だった。それは世界的には珍しいことだったようで、そのため土器の特徴を表した縄文や弥生という名称が時代の名前として用いられたのだそうだ。
かつて、江戸期にオランダを介して伊万里焼がヨーロッパにもたらされ、彼の地の陶芸に影響を及ばしたが、それを遡ること一万年も前から、日本は焼きものに特化した国だったのかもしれない。
どうも、この縄文時代あたりから日本は世界の歩みと歩調を異にしだし、独自路線を歩みだしている気がしてならないのはワタクシだけだろうか。
ところで過日、本学(国際文化理容美容専門学校 渋谷校/国分寺校)の『美容考古学研究所』(村田孝子所長)が今年度初の考古学ミーティング『縄文サロン』を開講し、縄文研究家・誉田亜紀子(こんだ あきこ)さんを講師に招いて縄文時代における「人々のくらし」をテーマに考察を展開しました。
旧石器時代から新石器時代への移行は、移動型狩猟採集生活から定住型農耕栽培生活への転換をその境界線としているようだが(小学生か中学生の頃、授業でやったよね)、『縄文時代』は定住型(季節移動を含む)狩猟採集栽培生活とでもいえるような世界的にも珍しいカタチをとっていたそうで、やっぱり当時から現在の日本列島およびその周辺諸島に暮らした人々は、少し変わった人たちで、ある意味決まったカタチを持たない、ボーダーレスな人々だったのかもしれません。そしてワタクシたちは、何パーセントかそのDNAを受け継いだ末裔なのであります。
東京の美容専門学校は国際文化理容美容専門学校。美容師・理容師の国家資格免許の取得に向けてヘアメイク・カット・ネイル・ブライダル・エステ・着付など、美容のすべてを学ぶ環境です。技術専門の教員が中心に授業や就職面をサポートします。また入学者を募集しています。総合型選抜(旧:AO入学)、学校推薦型選抜【指定校制】(旧:指定校推薦入学)、学校推薦型選抜【公募制】(旧:公募制推薦入学)、一般選抜(旧:一般入学)などのご相談は、オープンキャンパス・個別の見学会にてお待ちしております。