美容師のカットと理容師のパーマネントウェーブはNG?
2015年当時に安倍首相が美容室でカットしているという発言が新聞*1で話題となったことがありました。それは美容室で男性がカットをするという〝当たり前“のことが問題になったのです。今ではにわかに信じられないと思いますが、理容と美容の法的な定義と関連し、利用者が男性か女性の性別に着目し、業務範囲を定めた1978(昭和53)年の通知が、2015(平成27)年7月17日付通知により廃止*2されるまで、建前としては、その業務範囲が限られていたのです。具体的には、理容師は女性に対し、カットを伴わないパーマネントウェーブについては行ってはならず、美容師は、男性に対し、パーマネントウェーブ等の行為に伴わないカットを行ってはならないとされていたのです。このように現代でも理容師と美容師の違いがこのような形で注目されるのは、理容と美容の歴史的な背景の違いも要因といえるでしょう。
縄文時代の土偶に注目!
日本史上では、縄文時代の土偶からも様々な髪型が見いだせます。今から7,000年程前の縄文時代早期のものと思われる木製の櫛も見つかっています*3。本学は「美容考古学研究所」を有しており、先史から近・現代までのライフヒストリーを、髪型・化粧など美容の観点からも考察しています。縄文時代の土偶の髪型の検証を通じたヘアスタイルの再現を試み、各方面から学術的にも高い関心を集め*4、今後の研究の進展が期待されています。
理容(業)と美容(業)の淵源は?
女性のお歯黒などの化粧風俗も広がり、16世紀中期の室町時代の京都において、櫛(くし)や鋏(はさみ)、毛抜きを用いた「髪結床(かみゆいどこ)」が町中に存在していたのが淵源とされています。その後、天下泰平の世を迎えた江戸時代、日本髪の種類は300以上にのぼり化粧の流派も幾つも存在していました。また女性の髪を結う「女髪結(おんなかみゆい)」は、風俗を乱すとして財政難の江戸幕府から度々禁止令のお触れが出され、規制の対象ともなりました。
ジャンギリ(散切り)頭をたたいてみれば
警視庁が管轄していた
その後、1927(昭和2)年に改正により「美容術営業取締規則」、さらに1935(昭和10)年には、「理容術営業取締規則」と名称改称がなされています。そして1942(昭和17)年に、警視庁から東京府に、各道府県から新設された厚生省内政部に移行されて以降、現在まで厚生労働省が主管官庁となっています。
理容室と美容室の草分けは?
全国初の理髪師試験は?
難関の国家試験としては、医師、弁護士、公認会計士などが有名ですが、理容師、美容師も同様に国家試験があり、その免許の交付を受けた理容師、美容師でないと業、すなわち仕事としては行うことが出来ないことは知られています。これらは代表的な業務独占資格と呼ばれる国家資格で、その資格を有していないと業務(仕事)が出来ない職種です。そもそもこうした理容・美容の試験は、いつ頃から行われるようになったのでしょうか。全国初となる理髪師試験は、1919年(大正8)年に大阪で実施されたとされています。その後、各道府県でも実施されるようになり、「理髪師」と称され、現代の理容と美容が明確に法的に位置づけられるようになるのは戦後のことです。
理容師と美容師のこれからは
出典・参考文献
社団法人理容美容教育センター(1970)『美容現代史』
公益財団法人理容美容教育センター発行(平成28年度発行)『文化論』
公益社団法人理容美容教育センター発行(平成29年発行)『理容師・美容師関係法令通知集平成29年版』
朝日学習新聞社(2020年6月14日日曜日版)『朝日中高生新聞』
脚注
*1 日本経済新聞2015年3月4日付
電子版HP
*2 厚生労働省資料 理容師・美容師制度の概要等について
*3 公益財団法人理容美容教育センター発行(平成28年度発行)『文化論』P.26
*4 朝日学習新聞社(2020年6月14日日曜日版)『朝日中高生新聞』P.10~11
*5 シバヤマ美容室の歴史 BRAND STORY
*6 理容美容教育センター(1970)『現代美容史』P.189
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